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New Soul Lounge

日々のエモい瞬間を更新。

1932年からの手紙 ~「すばらしい新世界」に宛てて~

シャローム

始まって間もないのに、ハンターハンターのような更新ペースだぜ当ブログ。

まあ気にせずマイペースに。

 

今回は、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」という本を読んだのでその感想を書こうと思います。感想なので当然ネタバレも含みます。

 

この小説は、可笑しくってたまらない。

 

【1】本の概要・あらすじ

まず本についての情報を。

「すばらしい新世界」は、1932年にイギリス人作家オルダス・ハクスリーによって空想の未来社会(西暦2540年)について書かれたディストピア小説です。既にベストセラーになっている有名な小説ですが、恥ずかしながら私は最近下記の動画を見て初めて知りました。


ドナルド・トランプが生み出す、『すばらしい新世界』

 

この小説では、すべてを破壊した”九年戦争”の終結後、暴力を排除し、共生・個性・安定をスローガンとする清潔で文明的な世界について描かれています。スローガンの中でも、「安定」は小説内の世界統制官の発言にある通り、最も重要なキーワードと言えます。そうした「安定」した世界の為になされた施策について、訳者の大森 望さんの「訳者あとがき」に分かりやすく書かれていたので、引用させていただきます。

『フリーセックスと合法ドラッグ(ソーマと呼ばれる)が公的に推奨される一方、重くて面倒くさい人間関係は一切なし。 この時代、子どもは母親からではなく、人工授精によって瓶から生まれる(”出瓶”する)ので、親子関係なるものは社会に存在しない(”母親”や”父親”は、人前で口にできないほど下品で猥褻な言葉だと思われている)。結婚制度もないから夫婦関係もなく、当然のことながら家族という概念もない。特定の恋人と長くつきあうことは不適切な関係とみなされるから、みんな複数の異性とカジュアルに交際している。誰もがリア充な社会。』

『テレビや感覚映画を中心に娯楽産業はおおいに反映する一方、シリアスな文学や芸術は社会から排除され、哲学も宗教も存在しない。テクノロジーの進歩によって病気も老化も追放され、六十歳で安楽にぽっくり死ぬまで、セックスとスポーツを楽しみながら、健康でしあわせな毎日が送れる(万一、なにか不愉快な目に遭ったときは、ソーマの力を借りて桃源郷に遊び、ストレスを発散できる)。』

 

『この安定を維持するため、出生(出瓶)前から、各人の社会階層がアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンと厳密に定められ、さまざまな条件づけと睡眠学習がほどこされているんですが、その結果、(主観的には)万人の幸福が実現している』

 

こんな世界のお話をします。

 

【2】感想

①「じぶん」がない世界

さくっと大声で感想を。

面白かったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!

僕は普段から聖書を読むんだけど、吹っ切れて清々しい程ユーモラスに描かれる気持ち悪い描写の数々に「キモっ!」と笑いながら読んでいました。銭湯の交互浴のように、聖書を読んでこれを読んでと、面白い読書体験でした。笑 この本は、すごくユーモラスな小説です。テーマは、哲学的な内容を多分に含んでいますが、その描写の可笑しさや吹っ切れた自由な書き方のおかげでグフフッと笑えます。この本が内包する恐ろしさを可笑しさが包み込んで、より恐ろしく感じます。

 

さて、内容に関する感想を。

先述した通り、この本では「安定」がキーワードです。このキーワードを軸に読んでいくと、社会の成員が個人の尊厳を質に入れて社会の安定や安全を得た社会が描かれていることが分かります。具体的にそれを表すものとして、「個人の感情は社会の乱調」や「みんなはみんなのもの」などの秀逸な標語があります。個人的な感情や所有は、社会全体の安定を脅かす原因として認められません。ここで生じる疑問があります。

 

「あれ、おれって何の為に生まれてきたの・・・?」

 

こんな命題です。「自分が自分として生まれてきた理由は?」とかそうした疑問です。でも、ここでは社会の安定が至上命題なので、そうした疑問や不安などの変化の種は合法ドラッグと一緒に流し込まれます。「ソーマ十グラムは十人の鬱を断つ」です。不自然で気持ち悪いなと思いました。

 

②分かりやすさへの盲信

この世界では、登場人物によって度々ユニークな標語や歌が引用されます。この標語や歌が通じる相手とは、滞りなくコミュニケーションが取れるのですが、全くちがった文化圏の人とはコミュ障癖を爆発させます。相手の気持ちを読み取ってあげることも出来ませんし、自分の言い分を一方的にぶちまけます。分かり合えないとなると、相手と自分の間にドッカーンと壁を作り隔離し「なかったこと」にします。それで、ソーマ吸ってフリーセックスして毎日幸せyeah. レニーナがジョンに振られて「この悲しみは、1グラム分以上」(p.236)とか言ってソーマ吸う場面とか、すごい滑稽で笑いました。ジョンも振り切っているけれど、レニーナが分かりにくいものを遠ざけて分かりやすいものに奔走する象徴的な場面ですよね。すごい刹那主義。悩まない。悩む必要がない。そういうの難しいじゃん、やめない?みたいなノリ。

 

これ、キケンじゃあないですか。

小説の世界から抜け出して考えてみると、身の回りにもそんな風潮がたくさんあることに気づきます。「移民はかわいそうだから、受け入れなければならない」「イスラム教はみんなテロリスト」「トランプはなんかキライ」みたいな。嘘デショ!?って思うようなことでも、分かりやすくて気持ちのいいものであれば飲み込むし、たとえホントのことでも分かりづらくて辛いものであれば、UFOキャッチャーのようにつまみ出すような風潮です。

 

パンとサーカスに忙しくて、政治はよくわからない。みたいな。

で、本当に怖いのが、それになんの疑問もなく、というよりも疑問を持つための言葉を持っていないことです。作中でも、この点について言葉にしてたバーナードと言葉に出来ないレニーナが対比して書かれていた場面がありました。ハクスリーの鋭い批評眼が光ります。

 

③私たちの望むものは

この小説では、社会の共通の幸福のために芸術や科学、宗教など自然界の普遍性を考察したり、批評したりする道具が一切禁じられています。ですが、そうした代償のおかげで少子化も高齢化も、戦争も暴力も、不況も金融危機もない社会が維持されています。社会の安定のためには、真理は不都合であり、むしろ人々はそれらを積極的に捨てる可能性があるという示唆にこの作品の恐ろしさがあります。また、社会も個人も幸福を感じているのなら、真理を捨てて快楽に走っちゃダメなの?という恐ろしい疑問が描かれています。

 

僕も平和な社会を望みます。けれど一つ、言いたいです。

「首吊って死ぬわ、こんな世界。」

 

『自我を捨ててまで社会が平和になってほしくねえ。』

そんな我儘をぬかして人間臭く生きていたいですよ。重くて面倒くさい人間関係でも、言いなりにならないで要求したり、譲り合ったりしてその間に生まれる名状しがたい優しい感情に魅せられるんでしょうが。満たされていない気持ちがあるから、嬉しい気持ちになれるんでしょう。

 

「僕は自分自身でいたい。だめな僕のままでいい。いくら楽しくても、他人になるのはいやなんだ。」

 

そう言うバーナードの言葉が、強く響きました。

これは、作中の命題に対してハクスリーが物語の中にそっと忍ばせた、自身の回答ではないでしょうか。合ってるハクスリー?笑

 


映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』 歌/阿部芙蓉美

 

私たちの望むものは、社会のための私たちではなく、

私たちのための社会なのだ。

 

                                    以上